研究内容
●研究目的
植物の分子育種においては、遺伝子の重複性に起因する発現抑制の不確実性が問題であり、これを回避する技法の開発が急務となっている。本研究では、シロイヌナズナで開発された新たな転写因子抑制技法であるCRES-T法を多種の花きに適用し、作物分子育種の技法として応用する基盤を確立する。
●転写因子の重要性
遺伝子組換えによる作物機能改変のターゲットとしてなぜ転写因子が重要なのか?転写因子は遺伝子のプロモーター領域に結合し、その発現を調節するタンパク質である。植物では動物や酵母と比較して全遺伝子に占める転写因子の割合が高く、その半数は植物固有のものであることが明らかになっている。さらに、その多くが遺伝子ファミリーを形成している。このような植物転写因子の多様性は、植物の発生・分化・環境応答などの植物機能の調節に転写因子が重要な働きを持つことを示唆している。実際、これまでに同定されているシロイヌナズナ形態変異の原因遺伝子の多くは転写因子であることが示されている。
●遺伝子重複の問題
転写因子遺伝子をターゲットとして作物の形質を改変する試みは多数なされているが、ここで大きな障害となっているのが、遺伝子の重複性の問題である。遺伝子がファミリーを形成している、あるいはゲノムの倍数化の過程で変異が導入されることにより、配列が異なっていても機能は同じ複数の遺伝子が存在している。このことから、アンチセンス鎖導入やRNAi法など、配列特異的に作用する従来の技法では、遺伝子のサイレンシング効率が低いと言われている。実際、これらの技法を用いて作物の機能改変を行う研究課題の半数以上で、期待通りの結果が得られていないのが現状である。この状況を打開するために、新たな技法の開発が急務となっている。
●CRES-T法の開発
CRES-T(Chimeric repressor silencing technology)法は、本プロジェクトの参画機関の一つである産業技術総合研究所の高木らによって開発された、遺伝子の重複性に起因する問題を解決する画期的な転写因子機能の抑制技法である。シロイヌナズナの転写抑制因子で同定されたリプレッションドメインを付加することにより、あらゆる転写因子を強力な転写抑制因子に変換することができる。この技法はRNAiやタグラインを用いる技法に比べてはるかに簡便で、高効率かつドミナントに働く。また、配列の異なる機能の重複した複数の転写因子も1つのキメラリプレッサーで抑制できることから、植物転写因子の機能解析や分子育種の強力なツールとして注目が集まっている。(CRES-T法の詳細はコチラ)
●研究方針
本プロジェクトでは、まずシロイヌナズナのおよそ2,000ある全転写因子のうち、花の形質に関係するものを優先に700程度のキメラリプレッサー構築と組換え体の作出、スクリーニング技法の改良、転写因子の機能やターゲット遺伝子の同定を行う。このシロイヌナズナのキメラリプレッサーを多数種の花き(キク、トレニア、アサガオ、シクラメン、リンドウ、トルコギキョウ)に導入することにより集中的に組換え体を作出し、形質評価とCRES-T法適用条件の検討などを進める。遺伝子機能や表現型のデータ、他の作物への適用に関する情報は必要な権利化の手続きを経てデータベース化し、公開する。
●研究材料としての花き
本研究では花きを用いて研究を行うが、何故花を研究材料として用いるのか?その理由としては、
・多品種で形質転換系が確立されている
・花の形態形成はシロイヌナズナで遺伝子機能の解析が最も進んだ領域である
・表現型がわかりやすく、導入遺伝子の効果を評価しやすい
・カルタヘナ法の施行で対象作物を花にシフトする研究機関が非常に多い
・生活の質を向上させるものであることから、遺伝子組換えのPA向きである
などが挙げられる。花きで応用の基盤をつくり、多数種の作物へ展開するのが狙いである。また、本プロジェクトの推進により期待される効果としては、次のようなものが挙げられる。
・簡便かつ高効率で多数種の作物に適用可能な転写因子抑制システムが構築される
・新規形質花きが多数作出され、品種育成素材や研究用リソースとして提供される
・CRES-T法を他の作物に適用するために必要な情報が蓄積され、公開・提供される
・技法の効率化等にかかる関連特許が取得される
・花きを材料として用いることで、遺伝子組換え作物に対する国民の理解を促す基盤が作られる
●期待される展開
本研究は、一般に学術的な成果にとどまると考えられがちなシロイヌナズナのゲノム研究を、育種に具体的に応用するという点で画期的な試みであると考えられる。一方で、花は私たちの生活の質を高めてくれるという点でも本研究に重要な要素を提供している。例えば江戸時代の変化朝顔(※)のように、失われた形質を再現できるのであれば、遺伝子組換え植物に対する国民の理解を促す一つの足がかりとなるかもしれない。
※変化朝顔:とても朝顔とは思えないような形態の花や葉を持つアサガオの突然変異系統。江戸時代に生じた変異が伝承されている変異と、現存していない変異がある。
(参照→花のトピックス)